「今年はさ、『逆チョコ』っていうのが流行ってるんだって!! 普段バレンタインは男がチョコをもらうイベントなんだけど、今年は感謝の気持ちを込めて男からも贈るんだって!!」
「……それで、一ヵ月後もイベントがあったと思ったが、そこではどうするんだ?」
「それはよく分かんないんだけど、でもきっと両方でお返ししあいっこすると思うんだ!!」

 とかなんとか眩しい笑顔で言いながら、ラグナスはでかいボウルでチョコを溶かして混ぜている。家全体がチョコのにおいで充満していて、正直気分が悪い。
 「逆なんとか」とやらは、どうせもももあたりの商人たちが組んで仕掛けたものだろう。そういえば店の前で何やかやと宣伝していた記憶がある。一体あいつらはどれだけがめついのか、その一途さには呆れを通り越して尊敬に値する。
 そして見事、その商戦に引っかかっているコイツは、目を輝かせながら馬鹿みたいな量のチョコを作っているというわけだ。たしかにここいらにはやたら女が多いからな。あのかしましどもにやるのならちょっとやそっとの量では足りないだろう。

 経験値が不足すると子供の姿になるという頓狂な呪いが掛かっているラグナスは、大人の姿を維持するために「成長の護符」という装備をしている。これは歩くだけで経験値が入るがその分腹が減るという、ダンジョン内では諸刃の剣となるお守りだ。しかし背は腹に変えられぬということで、こいつはエンゲル係数を上昇させてでも大人の姿を維持している。
 そのため食い物にはやたらと執念を見せるのだが、こういうイベントでもそれは健在なようだ。愛想が良いコイツのことだ、恐らく今月も来月も相当な量の菓子類を手に入れることだろう。投資対効果なぁ。ご苦労なこって。

 その晩ラグナスは大量の菓子を作り上げ、鼻歌を歌いながら夜までラッピングしていた。




 そして、2/14。バレンタイン当日。




「シェゾシェゾ、見て見て!! こんなにもらったんだ!! これがアルルで、ルルー、ウィッチでしょ、ドラコとチコとセリリ…」

 帰るなり嬉しそうな顔で、紙袋の中から一つ一つ色とりどりの戦利品を取り出してゆく。そんなにあってよくも誰から貰ったかなんて覚えていられるものだ。せいぜいウィッチからのは気をつけておけよ。

「やっぱり友チョコだと全然量が違うよね! これ一日一個ずつ食べていくんだ!」
「そらよかったな」
「自分で作ったのもまだ残ってるから、一週間はチョコ三昧だ〜」

 頬に両手を当てほくほくと笑うラグナスを一瞥して読書を再開する。あの食欲からして一日一個で我慢できるわけない。そんなに自分用を残しておいたのか? 生菓子なんてそんなにもつわけでもないのに。
 ああくそ、文字が頭の中に入ってこない。

「シェゾは……どうだった? いっぱいもらったんだろ?」

 パタン!
 本を閉じた音は案外大きく響いた。

「んなもんあるかよ。俺は今日一日、一歩も外へ出てないし誰も尋ねてこなかった。お前が出てってから帰ってくるまでずっと一人だったよ」
「そ、か……」

 俺の声は少しずつ語気を強めていった。そうだ、ずっと気に入らなかったのだ。あいつが馬鹿みたいな量の材料を買ってきて、甘ったるいにおいを立て始めた時から苛々していた。「逆」だ? 何を釣られてホイホイと作ってる。ただでさえ普段から笑顔の大安売りしてるってのに、ここへきてチョコまで無料配布か。
 目の前が赤黒く染まっていく。

 ふざけるな。お前は俺の……


「あ、あのさ!」

 突然大きな声が聞こえ、身を任せていた黒く重たい思考の渦から少しだけ引き上げられる。声のした方へ目を遣れば、ラグナスが少し俯いていた。

「今日、チョコ食べてないんなら……。お、おれのでよかったら、食べないか……?」
「………………」
「あ、もちろん余りとか、そんなんじゃなくて……。お、お前のために、作ったやつ……」

 顔を少し上げて上目遣いに此方を見る顔は耳まで真っ赤だった。俺が何も言わず見ていると、それを更に赤くして、甘いものがきらいだったらいいんだ。おれが食べるから……なんてボソボソ言っている。

「なんだ……、そんなもんがあるのか」
「あっ、あるよ!! あるに決まってるだろ……。お前、おれがお菓子作ってるの見ていやそうな顔してたから、甘いものきらいなのかと思って……言えなかっただけで……」
「嫌いじゃない」

 あんなに大きく口を開けていたどろどろの渦が、こんなことで、まるで栓を抜かれたように小さく消えていった。
 お前の作ったものを俺が嫌う訳ない。
 むしろ俺は、


「じゃあ、あの、これ……」

 ラグナスが銀のリボンを巻いた青い袋を差し出してくる。けれど俺はそれを受取らず、口を開いた。

「食べさせろ」
「ふぇ?」
「口移しで」
「え、えぇ〜?!」

 顔を真っ赤にして無理を連呼するラグナスがどれだけ粘れるかを楽しんで、その後は美味しく頂くだけで満足してやろう。



 本来なら俺は、お前の作ったもの全てを
 俺のものにしたかったのだから。

どろどろと黒く甘い