目の前で爆風が起こった。それと同時に炸裂した閃光は予想外のもので、咄嗟に目を瞑りながら凶悪な空気の奔流に耐える。そこに隙が生まれ、予想外の方向から強く胸を蹴られると倒れるしかなかった。
「俺の勝ちだ」
 そう言って黒ずくめの男がおれの胴に膝を落とし、首の横に剣を突き立てる。
 ただの腕ならしに、なにもここまで本気にならなくてもいいのに。少しだけ首の皮が切れて痛い。
 おれは何も言わない。仰向けに転がされた視界には銀の髪の毛がさらさらと揺れていて、けれどその向こうにある高く青い空にみとれた。
(……こいつの目の色の方が、深いな)
 そう思って確かめようとした瞬間、
 急に、世界が白くなった。
 痛い。何。痛い。苦しい。

 首を、絞められている。

「が……ッ!」
 必死にその手首を掴んでやめさせようとするけれど、かなわない。マウントポジションから全体重を掛けられていた。力が入らない。
 涙で滲む視界がちかちかと蛍光色のあり得ない色彩を見せる。その中でなんとか見えたのは、何の表情も映していない、深く青い瞳だった。
「……この程度で」
 呟いてシェゾが手を離した。喉がひゅ、と酸素を求めて音を出し、咳き込む。
 今度は地面に頭を叩きつけられた。草と地面のにおい。
「この程度で、お前が死ねるわけがないだろう」
 また平坦な声で、はっきりとそう言った。
「な、……ァッ!」
 まだ喉の自由がきかず、上手く問うことができない。
 理不尽な行為に驚きすぎて、腹が立ちもしなかった。
 しかし今、彼は一体なんと言った?
 死ねる、と
 そう言っただろうか。




命(めい)




 ともすれば吐息になってしまうような、いや、浪々とした声だっただろうか。
「問おう、ラグナス・ビシャシ。《光の勇者》。
 時の女神の加護を受けし者よ、お前の使命は何だ?」
 知らない。今まで聞いたことがなかった。もちろん、疑問に思ったことも。
 では、おれは今まで何をしてきたのか?
 困っている人に頼まれて魔物を退治した、集約すれば全てがそれに繋がる。
 ――知らないのか? 侮蔑しながらも、その声は流れるように紡がれる。
「言っておくがな、『平和を守る』だの『命を救う』だのというのは正解じゃない。
 それはお前の前任者どもがお人好しだっただけだ。力あるものは力なきものに縋られるのが常。
 存在そのものが光に近しいお前らなんか、魔物退治にうってつけだ。便利な道具ってだけだよ」
 紡がれた意味がおれを否定する。
 あの祠で始まった三年間のすべてを塗り潰す。
 突きつけられたのは、おれが今までうっすらと考えては否定してきたことだった。
 饒舌だな、と言ったら頬を殴られた。八つ当たりも許してはくれないらしい。
「いいか。《光の勇者》なんて呼称は正式なもんじゃない。
 本来は単に《光の剣士》といった。
 《勇者》なんてのはお人好し等に付けられた単なるニックネームだ。そういう大仰な名は流布し、伝説と化すには最適なもんだからな」
 闇にも光にも善悪はない。ただ使う者の意識が全て。
 従って、絶対善を司る勇者などこの世界に存在できない。
 そう言ってシェゾは腕を広げ、高い空へ向かって愉しそうに笑う。

 《光の勇者》サマ。お前の本当の使命は、《闇の魔導師》を殺すことだろう?
 忘れてしまったのか?

 青いあおい瞳。耳にかかる吐息。押さえつけられた頭に再び力が掛けられる。
「俺はお前に殺される存在だから、」
 その腕から何か、彼がずっと抱えていた何かが流れ込んでくるような気がした。
「お前に殺されない限り、死なない」
 おれはそれに、恐怖したのだ。
「分かるか」
 こころがまっ黒にぬりつぶされたようだった。
 視界をぼやかすこの涙は、誰のものなんだろう。
「例えば、肉を抉られ血を流し。例えば、巨大な岩に体を潰され。例えば、業火に焼かれ皮膚が爛れ。例えば、首を……」
「やめて……」
 指を折り淡々と列挙されるそれは、きっとこの男の体験だった。普通なら死を迎えるべきもの。
 けれどそれは幾度も繰り返される。そのうちに理解する。
 ――ああ、死ななかったのではない、死ねないのだ。
 自分は死ぬ自由すら奪われたのだと。
「それが、《闇の魔導師》」
 弱々しい制止の声は意外にも聞き届けられ、けれど次に場を支配した沈黙は無知を責めるようだった。
 シェゾの指が濡れたおれの頬を辿る。顎から首筋へと。
 そしてそれは小さく零された。
「俺はずっと待っていた」
「が、アァ……ッ!!」
 また、首が、締められる。
 精神は打ちのめされても身体は勝手に反応する。その手首を掴もうとするが叶ったのは触れることだけで、出来損ないの抵抗は当然のように無視された。
 ぎり、という音が、聞こえた気がする。
「何度死んだ方がましと思うようなことがあってもお前がいないから死ねなかったのにお前は一体どこで何をしていたんだ今更現われたって遅いんだよとっくに受け入れたんだ戻れないってことを折角もう感じなくなってたのにお前が寄り道なんてしてるからいけないんだ何故俺のところへ真っ直ぐ来なかったどうして周りなんて気にしたんだ俺はずっと待っていたのに」
 止め処なく溢れ出た言葉たちは黒い濁流となっておれを押し流す。
 小さく紡がれた声は助けを求めるようなのに、今まで聞いたどれとも違っていた。
 もう救われることを諦めた声だった。
 言う台詞の尽きたらしいシェゾは、無言でまだ、手に力を込めている。

 ――ごめんね。

 言葉が浮かぶとまた涙が零れ、同時に手が離された。
「っ、は……っ!」
 生理的な咳き込み。涙と唾液がだらしなく流れるが構えない。身体が生きようと酸素を欲して勝手に筋肉を動かす。これを止めることは出来ないのだ。
 そしてシェゾは先程と同じように、抵抗できないおれの頭を地面へ打ち付けた。
「お前は俺を殺すまで死ねない。これは決められていることだ。覆ることはない。
 でもまだお前は俺を殺せない。実力が足りない。だから」

 お前は俺のことだけ考えていろ。

 吐息のような、あるいは叫ぶような声だっただろうか。
 シェゾの命令はまるで魔力を伴うもののようにおれの心へとするりと入り込み、それを絶対至上のものとして書き込んだ。
 おれはきっと、この言葉を守り続けることになるのだろうと、ぼんやり思った。
 それが自然なのだと思うと、何故だろう、馬鹿みたいにしっくりきた。
 空が青すぎて、視界が全て青く塗りつぶされたかのようだった。あいつの顔が見たいのに。これじゃ。
 せめてと手を伸ばせば今までの勢いが嘘のように易々と頬に触れることを許したあいつの声はどんなものだったのか。


「俺は、ずっと待っていたんだ……」